3月11日(金) 2:46分
一ヶ月前。
それはいきなり始まったんですよね...
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あの日は、オッキーさんとプライベートレッスン中でした。
「3時まであと15分だから、ストロークをもう少し
練習してみましょう。」って言った後でした。
すご〜く静かで、のどかな午後だったのに。
わずかに揺れが始まって・・・
カタカタ、コトコト、
小さな横揺れ。
「地震ですね。」
「うん。」
次第に3度、4度くらいの揺れになって・・
地震が始まるといつもの習慣。
棚のペイント小物が落ちると怖いから、床に降ろして回るの。
その数秒間はいつもの揺れだと思ってました。
でも、
「なんだ!!」
それで終わるどころか、さらに激しくなったんです。
「ええ!!! これは一体..」
「ギシギシ、ガタガタ、チャランチャラン...」
木材が、土台が、ガラス類が置いてある物がすべて軋んで
激しい音が鳴りだしました。
”揺れ” が目で捉えられないような激しさで。
床も上下左右に動くなんて・・・こんな地震!!
もう震度5とかじゃない!
家が地面ごと、踊るように動いてる。
もう平常心など、すっ飛んでました。
「先生もうダメ、外へ出よう!」
「うん、早く!」
耐えきれなくなって慌てて外へ出ました。
でも、それからがさらに長かったんです。
家が目視で、1メートルも激しく左右に揺さぶられてる感じ。
地面など立っていられない。
車がバウンドしてタコ踊りしてる。
電信柱も、ゆらゆら電線ごと大きく揺れて。
すべての揺れる音が、軋む音が、響いてる。
こんな、こんな凄まじい揺れってなんなのー!!!
オッキーさんと私は、怖くて怖くて抱き合って、
信じられない光景を見ながら耐えていました。
地震は、5、6分は続いた感じでした。
まさかっ、このまま、家がつぶれたらどうしよう。
そうだ、「犬が☆ ケリーが家の中だった!!」
ケリーを連れて出られなかった自分をどんなにか恨みました。
でも、もう再び家に入る余裕がなかったー
そうしてー
揺れがやっとおさまって、
家は、壊れないで済んだんだーと思いながら、ほっとしました。
家の中に入ってみると、物が散乱している状態がそこにあり・・・
ケリーは、小さな自分のスペースで上から落ちた本や雑貨を避けるように縮こまっておびえていました。
無事だったかー。でも、すごく怖かったでしょう。
可哀想なことをしました。
あ〜、なんてこと!!って思いながら、
ふと我に返るとまだ心臓はバクバクしていました。
このショックは、こたえるかもしれないな...あの時そう思いました。
それから、
「そうだっ、テレビ」っと思い
リモコンでつけようとしましたが電気はつきませんでした。
情報を確認しそびれて、
この時ばかりは、気が動転しすぎていて
自分の行動が定かでなかったです。
オッキーさんも、携帯で家族に電話をかけようとしたけれど、
もうすでに回線が一杯らしく通じませんでした。
そうこうしているうちに、また、揺れが始まったんです。
これもさきほど同様大きくて、
何で2回もって思いながら、
今度はケリーをリードで繋いで、あわてて
スリッパのままで外へ出ました。
お隣さんが、今度は出てらして手巻きのラジオで
情報を教えてくださいました。
震源は、三陸沖、震度7。
「津波が来るって。10mって言ってる。」
「ええ〜〜、10mって!!」
私は、田んぼの方を見つめて、10mの津波があの向こうから来たらどうなるんだ〜と想像してみて、
「そんな!!!」と三陸の人々のことがすごく心配になりました。
外で、揺れがおさまるのを待っていた時、
娘の白い車がこちらに向かってくるのが見えました。
「帰って来た!!」
「ママ、凄く、怖かった〜」って、震える娘の声。
「無事でよかった〜」
これほど嬉しい迎えは、今まで、なかったです。
家の中は、2階、3階へいくほど落ちた物が多く、
足の踏み場がなく、壊れたものもありました。
オッキーさんは、千葉県からいらしているので、
すぐ様車で帰ることに。
帰宅まで、とても時間がかかったそうですが、
お家もご家族も全員無事でいらして、ほんとによかったです。
うちも、6時限目の授業中に地震になった息子が、
自転車で飛んで戻って来たし、
勤め先が近い主人も、5時前に帰宅してくれて、
母も安全な所にいましたので、ほんとに全員無事でよかったです。
家族の顔が集まってほっとしたのもつかの間、
停電の夜になり、余震は激しく、原発の事故が起こり・・・
そこから今日まで、いや、これからもいつ終わるのかわからない日々が、
いまだ続いているんですね。
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テレビや新聞記事で状況が刻々と分かるにつれて、
信じられない事が起こったんだという事実を受け止めています。
それに対してなんと言っていいのか、
この地の地震の酷さより、それ以上の脅威を受けて
大切な人や物を失ってしまった方々の気持ちを思うと
辛過ぎて言葉がみつかりません。
自然の脅威と、そして許しがたい原発事故。
どちらにも、さらされた被災地の人々(茨城ももちろん含めて)
・・・辛過ぎるよね。
だけど、それに打ち勝って前に進むしかないんですよね。
報道でもお聞きしている通り、被災地の方々の気持ちは、強い!!
でも、もろさとの葛藤で本当は紙一重でしょ、そう思います。
自分だったら...と思うと、実際そうじゃないから
100%はわかりにくいけど、
私達にきっと大切なのは、被災地の方々の気持ちから離れないってことじゃないかと思います。
やがて街の様子も次第に戻り、
テレビもいつもの様にもどっていくけれど、
決して、被災地のことを忘れないことだと思います。
私達家族は、今すぐにできること..としてこの思いを義援金に託しました。
そしてこれからも、折りあるごとに気持ちを届けたいと思います。
復興に何年?
原発の廃炉に何年?
これから、10年も20年もそれがかかるとしたら、
本当に息の長い気持ち、忍耐を持って前向きに生きていかないと。
あの日の前まで、考えなくても良かった放射能という脅威。
地震帯国の日本で、安全じゃないこのエネルギーに
依存し続けるってことが、本当に正解なのかもはやすごく疑問です。
出来得るなら、個々に効率の良い太陽光発電がもっともっと安価で使えるようにして欲しい。
また、
子供の頃は、どこもかしこも夏は暑かった。
夜も暗かった。
テレビも11時には終わっていましたよね。
いつから、こんなに電気が必要になっちゃったんだろう。
寒いからって必ず一枚上着を持って入る電車も、
本当は間違ってるでしょ。
膝掛けが必要な寒いオフィスや病院も、可笑しいでしょ。
暑いのに、長袖の背広を男性が着てるのが可笑しいでしょ。
夏、世の中には街が寒いって言えない人々が本当は沢山います。
全く、矛盾があるんですよね。
地球が先進国に、「お前達おかしいぞ。」
「そろそろ、自然のままに元に戻せ。」って
言っているような気さえ感じてくるのです。
こんなに多く、長い余震を感じると、温暖化や異常気象に言及しても、
地球の姿が以前とは変わってきているって、素人でも察しがつきます。
それはきっと人間自身が引き起こしていることだと思いますし。
子供達が、孫達が安心して暮らせる世の中に戻せるのかな。
戻したい。今の大人がどうにかしないと。
真剣に考えないとってすごく思います。
こんなに、日本の人々の心が、世界の人々の心が優しい今なら、
できそうな気がするんです。
いえ、やっていかないといけないんじゃないかって思います。
考え直す時、だと思います。
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最後に、私事ですが。
震災以後、壊していた肩がすごく痛くなってしまい、
たぶん、震災のショックもあったり、片付けなどもあって・・・
整形外科に行きましたら、なんと、五十肩だそうでうまく動かないんです。
服の脱ぎ着や、洗髪などもできなくって、困ったものです。
ほかならず震災の不安や心配もあったので睡眠不足も...
それで、ブログもずっと書けないでいました。
でも、この時期にこの思いだけは、今書いておこうと思ったのです。
私の中のケジメです。
私のブログに訪問くださっていた方の中に、
今回の被災地の方々もいらっしゃるのかな。
心から、皆々様のご無事をお祈りします。
実は、母の妹、仙台にいる叔母が被災しました。
命は無事でした。
今は、1階部分が水につかったままのマンションの4階にいて、
食べ物があまりありません。
叔母さん、いつもブログを見てくださっていて、ありがとう!
母と相談して、美味しいもの送りますから。
不便なものあったら言ってね。いつも心は一緒です。(*^_^*)
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長くなりました。
しばらく肩の痛みとつき合っていくようですが、
ぼちぼち、元気出していきます。
大人が親が、ニコニコとして前を歩いていきましょう。
そして心配事は、皆でわけあって。